パッケージベンダーに修正対応してもらえるという打ち合わせの結果を私は全体会議で報告し、承認を得た。
夏から参画したプロジェクトもいつしか10月になっていた。
パッケージ製品は改修され、運用に支障をきたさないようになった。
その後も山積みになっていた障害をチームはひとつひとつ解決して行った。
JDKのSSLアクセスにおける不要なDNS逆引き通信や、JavaMailのバグ、パッケージ製品の認証処理のバグなども次々と解決していき、12月も終わる頃には全ての問題を解決していた(あとでわかったのだが、これらの問題はパッケージベンダーが解決できずに放置されていた問題であった)。
プロジェクト内で開かれた忘年会では、パッケージベンダーの人も参加していた。
「うちの部長が佐藤さんのことを褒めていましたよ。あの会社で佐藤さんだけは信頼できると言ってました」という言葉を頂いた。
嬉しい言葉だった。捨て身で発言しただけはあった。
翌年の3月に、私が所属していたチームは予算の都合上、エンドユーザから解散を言い渡されたが「佐藤さんは残ってくれ」という依頼があり、4、5月はひとりで引継ぎを担当し、役割を終えた。
何かをクリアした気分だった。
最初は私に厳しく当たっていたエンドユーザのリーダが、私が現場を離れる日に、がっちりと握手をして「頑張れ」と言ってくれたのが今でも思い出される。
チームに入った3か月後の時点で「話と違う」といって、契約を終わらせ、壁から逃げる権利も私にはあった。
しかし、私は立場を超えて、プロジェクトに立ち向かったおかげで、壁を突破するという経験を得ることができたのである。
30歳を目前にして得た成長の糧である。(終わり)
今年の目標103エントリー まであと27