先日、中日ドラゴンズが53年ぶりの日本一に輝いた。
小学校1年のときに中日ファンになって以来、熱狂的に応援してきたが、日本シリーズの勝利には縁がなく、5度敗退してきた。今回が6度目のチャレンジ。
中日ドラゴンズに落合監督が就任して4年。その間安定した成績を残している。
2004年:1位(日本シリーズ敗退)
2005年:2位
2006年:1位(日本シリーズ敗退)
2007年:2位(日本一)
私は、2003年のオフ、中日の次期監督に落合監督が就任するというニュースを聞き小躍りした。
落合監督は、現役時代から「勝負の方程式」などの書籍を出し、解説者の立場になってからも週間ベースボールなどに記事を執筆したり、いくつかの書籍を出版するなど、その理論を世の中に発表していた。それを読んだ私は、ここまで深くそして緻密に野球に対して考え、言葉で表現し、理論化できるものかと、深く感銘を受けていたからである。
そして、落合監督が監督に就任した2003年秋、最初に言った言葉。
「現在の戦力を10%底上げすれば優勝できる」
1999年の優勝以降、あまり良いところがなく数年を経過していた中日ドラゴンズ。さすがは有言実行の男。いきなり出たか。そう思い私は密かな期待を寄せた。
そのオフ、解雇・トレードはゼロ。新たに加入したのは、巨人を一旦は引退し、コーチ就任が決まりながら、原監督の解任に反発し現役続行を決めた川相。
一方、ライバルの巨人軍。堀内監督が新たに就任し、前年のペタジーニに続き、小久保、ローズを獲得。大幅な戦力増強を図った。
そして春季キャンプ初日の2月1日の紅白戦開催。
「プロとして仕上げてこいよ」選手たちへの暗黙のメッセージだった。
落合監督がこのキャンプで鍛えたのは、今では球界きっての名二遊間となった荒木、井端。当時2人は1軍の試合には出場していたものの、あまりぱっとしないというイメージだった。まずは、この2人を徹底的に鍛えた。2人はいきなり結果を出した。これでチームにセンターラインという軸ができあがった。
「キャンプの革命」巨人V9時代の監督川上哲治は言った。さすがは名監督。見る目がある。
そして、迎えた開幕戦。開幕投手、川崎憲次郎。2001年にFAで鳴り物入りで入ったが泣かず飛ばずで1試合も登板していない男を持ってきた。奇策だ。相手に失礼だ。非難する声も聞こえた。
落合はあとに言った。
「川崎のような選手をチーム全員で盛り上げるような雰囲気にならないといけないんだ」
そして、川崎は2回5失点でKOとなったが、チームは5点差をひっくり返し開幕勝利。
シーズン前半の巨人戦。一投一打に、席を立ったり座ったり一喜一憂する姿がテレビに映し出される堀内監督。何があっても座ったまま表情も変えない落合監督。
「勝負あったな」
テレビを見ていて思った。
そして選手起用。実績のない力のある選手の大事な場面での登用する。そして選手がそれに見事に応える。落合監督の選手を見る眼力の為せる業である。
45歳まで現役にこだわり、4球団を渡り歩き、野球を研究し、技術を磨き抜いた落合だからこそ持っている眼である。
そのような抜擢の連続の結果として、現在の中日ドラゴンズには、主力選手がけがをしても、それを補う野手陣と、勝負所で起用できる豊富な中継ぎ陣がいる。
そして、この2004年、中日ドラゴンズは優勝を果たした。落合は有言実行の男だった。自身の深い理論に裏打ちされた確信に基づく有言実行である。
そんな落合監督でも日本一へのチャレンジは2度失敗した。そして2007年、苦しみの末、53年ぶりの日本一。
中日ドラゴンズ、そして落合監督ありがとう。
学ばせてもらったことを経営に生かしていきます。