先日、長友佑都選手(サッカー:現インテル)の書籍「上昇思考〜幸せを感じるために大切なこと」が本屋で目に入った。
日頃、ビープラウドにいる人たちにとって何が幸せなのか、どのようにあるのが幸せなのかと思いを巡らせていることもあり、サブタイトルが気になり読んでみた。
読んで行く中で、素晴らしい言葉を知ることができた。
長友選手の中学サッカー部顧問の井上博先生が繰り返し教えたという「人としての3本柱」である。
3本の柱とは「自分づくり」「仲間づくり」「感謝の心」
大人になったとしても、これが自然にバランス良くできるひとは、どれくらいいるだろうか。
自分をつくりあげるために、日々考え、努力し、行動しているだろうか。
周りの人と良い関係を築き、お互いに協力しているだろうか。その仲間は依存や馴れ合いの関係になっていないだろうか。
周りの人の好意や行動を当たり前に思っていないだろうか。成果を自分の実力のおかげと勘違いしていないだろうか。
この言葉を中学時代に知ることができた長友選手は幸せだとおもう。
長友選手が感じている「幸せ」とはなんだろうか。
生きること、そしてサッカーができることを感謝し、喜びを感じること。その恵まれた環境を生かしきるために最大に成長していきたいと考える「上昇思考」。そして上を目指すために努力する中から得られる充実感
ではないかと私は読み取った。
感謝と言えば、野村克也氏の「野球ノート」の冒頭にも書かれている言葉(社会活動家の上所重助(かみところしげすけ)という人の言葉らしい)を思い出したので、ここに書いておきたい。
「おかげさまで」
夏がくると冬がいいという、冬になると夏がいいという
太ると痩せたいという、痩せると太りたいという
忙しいと閑になりたいという、閑になると忙しいほうがいいという
自分に都合のいい人は善い人だと誉め、自分に都合が悪くなると悪い人だと貶す
借りた傘も雨があがれば邪魔になる
金をもてば古びた女房が邪魔になる、世帯をもてば親さえも邪魔になる
衣食住は昔に比べりゃ天国だが、
上を見て不平不満に明け暮れ、隣を見ては愚痴ばかり
どうして自分を見つめないか、静かに考えてみるがいい
いったい自分とは何なのか
親のおかげ、先生のおかげ、世間様のおかげの塊が自分ではないのか
つまらぬ自我妄執を捨てて、得手勝手を慎んだら世の中はきっと明るくなるだろう
おれがおれがを捨てて、おかげさまでおかげさまでと暮らしたい
ビープラウドも素晴らしいメンバー、素晴らしいお客さま、そして顧問になって頂いている税理士先生、社会保険労務士先生などに囲まれ、先日で丸6年を迎えることができた。
その恵まれた環境に感謝し、経営者としての上昇思考を持ち続け、ビープラウドに関わるひとたちが幸せを感じることができる会社にしていければとおもう。
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