10月28日にBPStudy#50を開催し、2007年9月から50か月連続で開催することができた。
私が「続けること」の大事さを学んだのは、高校時代の2つの失敗からである。
1つ目の失敗は、高校1年の冬、硬式野球部で1つ上の先輩とポジションを争っていた時のことである。
1年の秋は、新チームになって先輩が怪我をしたこともあり、私がレギュラーとなった。
そして冬になりシーズンオフ。他校との練習試合は無くなり、自校でのトレーニング中心の練習となる。
練習は1時間近くの筋力トレーニング(馬跳び、手押し車、チームメンバーを抱えてのダッシュ、スクワットなど)の後、50mダッシュ10本、100mダッシュ10本、200mダッシュ10本などのメニューが続く。
ダッシュは1本1本でタイムが監督によって計られていて、規定タイムに達しないと1本として計上されないようになっていた。
過酷なメニューに、足の怪我などによって脱落する選手が日に日に増えていった。
20人いる選手のうち4人しか走っていないこともあった(走らない選手はティーバッティングなどの別メニュー)。
このメニューがスタートした12月から2月まで1回も脱落しなかった選手が2人いた。
私と、同じポジションの1つ上の先輩である。
私はメニューを続けてはいたが、走るのがつらくて仕方がなかった。
平日だけでなく、土曜日も日曜日も練習は続いた。
ダッシュメニューを休んで、バッティングなどの練習をしているチームメンバーがうらやましかった。
「他の選手も休んでるんだから、俺も1回くらい休んでも良いだろう」
そのような気持ちがあった。
私は春のシーズンももうすぐという2月末に、1回だけ脱落してしまった。足が痛かったとはいえ、走ろうと思えば走れるくらいの痛みであった。
しかし1つ上の先輩は、チームでただひとり、メニューをやり切った。
冬も終わり、春のシーズン。
最初の練習試合(3月25日)でスタメンに選ばれたのは1つ上の先輩であった。
つづく、春の大会、夏の大会、試合に出たのも、1つ上の先輩である。私はポジションを奪うことはできなかった。
力の差はなかったと思う。
しかし立場は大きく異なった。私の試合出場機会は大きく減った。
どちらが最後までやり切るか、監督はずっと見ていたのだとおもう。そして続けたほうをレギュラーとして使った。
これが「続けられなかったこと」による私の失敗の1つ目である。
長くなったので、続きは次のエントリーで
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