ルールのある組織は良い組織、ルールが存在しない組織は良くない組織。
そのように考えている人がいるかもしれない。
しかし、本当にそうだろうか。
これについて、ルールがどのようにして生まれるかという点から考えてみたい。
まず、なんらかの組織(会社に限らずサークルやコミュニティなど)が生まれたときには、集合・解散時間のルール、役割分担など、簡単なルールのみを決めることだろう。
そして、組織の活動がはじまってしばらくすると、時間を守らない人、他の参加メンバーに不快な思いをさせるような行動をする人が出てくる。
そうなると、それに影響されて同調する人が出てきたり、きちんとした活動をしていた人までもが不満を持つようになる。
組織にそのようなことが起こると、行動を縛るためのルールを設けたり、注意しても直らない場合は罰則をつくらざるを得なくなる。
このようなルールは、組織に集まる各個人が、自覚を持って行動していれば、本来は不要なはずのルールである。
明確なルールが存在せずとも、各個人の信頼において、組織が成り立つ。
信頼を守ることができないようであれば、その人ははじき出される。
このように人間関係によってつくられるルールのほうが厳格なルールがあるよりも、むしろ厳しい関係といえるかもしれない。
また、ルールをつくる側の立場の人にも気をつけなければならないことがある。
それは、あらかじめ、さまざまな悪い行動をする人を想定し、管理、規則、手続きをつくろうとすれば、それは管理中毒であり、管理のための無駄な業務を生み、官僚的な組織への道を歩むということである。
そうなると、組織には次第に無駄な手続きが増え、自由な雰囲気が失われていくことだろう。
ルールをつくらざるを得ない状況にならぬためにも、組織をまとめる立場の人は、各個人自らが自覚を持って規律を守る「自律の文化」を育てていく必要があり、信頼を守れない人には厳格な態度で臨む強さをもたなければならない。
いわれないと行動しない=「子供」、いわれなくても行動する=「大人」
目指すべきは「自律の文化」を持った大人の集団である。
また、上記の縛りのためのルールとは違い、組織に必要なルールが存在する。
それは業務が効率よくまわるためのルール、すなわち仕組み化のためのルールである。
これがないと、組織はときに混乱した状態に陥り、本質ではないところで手をとられ、不効率な組織となる。
このようなルールがある会社は守りがしっかりとしていて、攻めに集中できる会社であるといえるだろう。
このようにルールにも、それぞれ意味があることを認識し、組織づくりをしていければとおもう。
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