高校時代は名門PL学園で1年から4番を打ち、5季連続甲子園出場2度の優勝。3度のベスト4。
鳴り物入りで西武ライオンズに入団し、1年目から4番を打ち、打率3割、31本塁打を記録。西武ライオンズ在籍の11年間で、8度の優勝(日本一6回)に導き黄金時代を築いた。
誰もが西武黄金時代の立役者として清原を褒め称え、私を含め野球をする少年達が皆憧れの存在として清原を挙げていた。日本シリーズやオールスターでみる清原の勝負強いバッティングは神懸かっていた。
そんな清原が1997年にフリーエージェントで巨人に移籍。
そんな清原が、巨人に入った途端に変わっていくのを一野球ファンとして目の当たりにした。
看板に直撃するかという本塁打を打ったかと思えば、大して名のない投手からあっさりとボール球の変化球で三振してしまう姿。清原の成績は下降し、巨人も清原が移籍した1997年から3年間優勝から遠ざかり、清原はA級戦犯扱いされた。
あの移籍をきっかけに何が変わって、何がいけなかったんだろうか。私は、そんな疑問をずっと持ち続けていた。
その答えを探すため、清原の引退記念に発売された「Number vol720 清原和宏」 を早速購入し読んだ。
清原自身の意識の変化は、巻頭のインタビューに書かれていた。
「西武というチームは、それぞれが役割をわかっていたんです。ジャイアンツはそこが違った。寄せ集めのチームですから、みんなそれぞれの個人競技ですよ。僕はそこを意識しすぎて、なんとか勝たさないといけない場面で大きなホームランを狙ってしまったりだとか、塁に出さえすればいいところでホームランを打ちにいったりだとかしてしまった」
清原自身が、西武時代に持っていた意識については語られていなかったが、同じNumberに掲載されている、西武時代監督の森監督の「”フォア・ザ・チーム”の4番打者だった」に書かれている内容から、当時の清原のスタンスがみてとれる。
「己を捨ててチームの勝利に貢献しようとする清原の姿をみて、当時の石毛や辻のようなベテランもやりがいを感じたはず。だからこそチームとして機能した。清原はそんな4番でした。問題はそういった彼の価値を、どう評価してやるかということなんです」
これらの発言から、西武から巨人に移籍した後に「組織」から「個」に意識が変わってしまったことがわかる。
では、なぜ「個」に意識がいくと逆に個人の成績が下がるのだろうか。
そのことについて「エースの品格」で野村監督が説明している。
人間の心は自己愛に満ちている。自分がかわいいのは誰しも同じことであり、避けることのできない「業」とも言える。しかし、そこから生み出される「欲」は社会や組織(チーム)にとっては百害あって一利なく、最終的に自らもしっぺ返しを食らうことになる。まさに因果応報である。
自分の欲を優先させているうちは、バッターボックスでボールを捉える瞬間まで邪念がつきまとい、結果的に凡打に終わるケースがある。
いかに欲から離れられるか、無心になってボールに集中できるかによって勝負は左右される。
つまり前提として「個人」があるうちは、必ず欲にとらわれ、重大な失敗を犯すようになり、その結果、個人の成績は下がり、チームも迷惑を被るということなのだ。
「まずは個人の成績をあげて良い給料をもらいたい。チームを尊重して自分の成績が下がり給料が下がったら誰が保障してくれるんだ」
「個人の成績をあげることで、チームの成績に貢献する」
「自分が派手な活躍をすることで客も喜び、球団にも貢献できる」
これらの考え方で成功できるほど、甘くはないということだろう。
良い状態のものが崩れたときのリカバリは、人が想像するよりも難しい。
神懸かり的にさえ見えたバッティングは、とうとう2008年の引退まで戻ることはなかった。
清原が師匠として慕い、その背中を追ってきた落合博満のコメントが、同じNumberに掲載されている。
「巨人にきて1,2年目にあいつを見て、これは苦労するだろうなと思った。誰が吹き込んだんだろうな。いいものが崩れるのは簡単だよ。でも元に戻すのは難しい」
「個」を尊重しすぎて「組織」が失墜し、その結果「個」は大事なものを失う。
その逆も然りで「組織」を尊重しすぎて「個」を失い、その結果組織が失墜する。
ひょっとしたら野球に限らず、人はその失敗を長い間にわたって繰り返してきたのではないだろうか。
「組織のために行動するのが、結局は個人のためになる」
言うのは簡単。行うのは難しい。だからこそ、組織のメンバーにその意識が芽生えたとき数少ない生き残れる組織となる。
私がこれを書いているのは「だから組織のためにやってくれ」ということではない。むしろ自分への戒めである。
まず私自身が自らの欲を捨て、組織のためになにができるかを考え行動し、組織の模範とならなければならない。もし私自身が「組織」よりも「個」に対する意識がまさったとき、私は何かを失うだろう。
清原和博という強烈な「個」を持っている不世出の大選手の現役生涯を通じて「個」のありかたについて考えることができた。
野球というスポーツをみていると、人生が凝縮されていることを感じ、だからこそ見ていて面白いと感じるのである。
清原は、これから指導者として球界を担っていくと思われるが、是非西武時代の自分自身の後継者となる選手を育ててほしいし、私も応援していきたいと思う。
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