ビープラウド社長のブログ

株式会社ビープラウドの社長が、日々の思いなどを綴っていきます。

英雄

Number. vol714『野茂英雄のすべて』を読みました。今年引退した野茂英雄選手の引退記念特集号です。

Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2008年 10/30号 [雑誌]
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野茂投手は社会人からプロ野球に21歳で入って、いきなりMVP、最多勝、最多奪三振などのタイトルを獲得し、一躍日本を代表する投手になりました。

野茂選手が日本で大活躍しているとき、私はちょうど高校生で、硬式野球部で野球漬けの毎日を送っていました。流行りました。野茂のフォークボール。

当時、たしかマガジンで『野茂英雄物語』という読み切りの漫画が出て、寝るときにもフォークボールの握りのままボールと手を縛って寝ていたという話が載っていて、チームメイトは皆それを真似していました(結局、誰もそのようなフォークボールは投げられませんでしたが)。

野茂投手は、日本での活躍後、95年からアメリカに渡り、大リーグに行きました。

私は大の野球好きなので、野球選手がプロとして成功するまでの努力、プレースタイル、インタビューなどで垣間見える考え方などから、成功するために必要な要素を考えたりしているのですが、私が野茂投手から学んだのは『どの道を選んだらいいかは、自分が一番よく知っている』ということです。

野茂投手が大リーグに行くときは、日本のマスコミも『裏切り者』『わがまま』『活躍できるはずがない』などの論調になったときがあった記憶しています。父親もしばらく口を聞いてくれない時期があったそうです。

野茂投手はそのような逆風の中、大リーグに向かい、半年後には野茂フィーバーを巻き起こしていました。

周りの人はそんなものではないかと思います。他人のことについては、とやかく言うことがあっても、それは現時点に対する一時的な視点でしかありません。自分のことを長い時間みつめ、自分の先のことを一番考えていて、理解しているのは自分と言うことです。

野茂投手の野球選手としての生き様は、名前のとおり英雄(えいゆう)と呼べるものだったのではないでしょうか。将来、是非日本のチームの監督になって、今年引退した桑田真澄選手、清原和博選手と監督として戦ってほしいものです。

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