ビープラウドでは、BPStudyという勉強会を毎月開催している。
BPStudyに限らず、IT業界(特にWeb業界)では、勉強会やLT(ライトニングトーク:短時間のプレゼンテーション) が盛んで、個人が自分の考え、ノウハウ、知識を、自社に限らず社外の人に話せる機会が多く用意されている。
個人が話す機会があるということは、IT業界(特にWeb業界)の大きな特徴であると私はおもう。
このような場があるメリットは、以下のものが考えられる。
- 他社、他のエンジニアの事例、考え方、取り組みを知ることができる
- 実際のところ、どうなのかということを知ることができる
- 悪いものは伝わりやすいので、業界内で自浄作用が働きやすい
福沢諭吉の「学問のススメ」の中に「演説のススメ」という一節があるので以下に紹介する。
「演説」というのは、英語で「スピイチ(speech)」といって、大勢の人を集めて説を述べ、席上にて自分の思うところを人に伝える方法である。わが国では、むかしからそのような方法があることを聞かない。
(〜略)
西洋諸国では、この演説が非常に盛んで、(〜略)わずか十数名の人が集まれば、必ずその会について、あるいは会の趣旨について、あるいは平生の持論を、あるいは即席の思いつきを説いて、集まった人に披露する風習がある。
(〜略)
演説をすると、その内容の重要さはひとまずおき、口頭でしゃべるということ事態に、おのずからおもしろみが出てくる。たとえば、文章にすれば、たいして意味がないようなものでも、口で言葉にすれば、理解もしやすく、人の心を動かすものがあるのだ。
Amazon.co.jp: 学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書): 福澤 諭吉, 斎藤 孝: 本 より引用
この一節は、明治7年(1874年)に書かれたものである。
西洋では演説の習慣があるが、日本ではそのような習慣はない。自分の持論を人に伝えるために、演説をしてみてはどうかという趣旨である。
次に演説が、会社に与える影響について考えてみたい。
「タテ社会の人間関係」(1966年出版)という、日本の社会構造を考察した書籍がある。
内容をざっくりと紹介する。
- 日本の会社は、会社に閉じた「タテ」社会により構成されている。
- 日本の会社に属する従業員は、職種別組合的な「ヨコ」の同類とのつながりがないから、情報も入らないし、同類の援助も得られない
- 職種よりも会社という場(枠)が、大きな役割をもっている
- 「タテ」社会は「家」である。「家族」であり、そのつながりは深い。親分がいて、子分がいる。
- 論理よりも感情が優先される
- 追い越しは禁止(良い人、良い考えでも、上の立場を脅かす者は排除される)
「タテ社会」は「タテ」のルールさえ守っていれば、家族の長である親分がその立場を守ってくれるので、ある面では居心地が良く、楽かもしれない。
しかし「タテ社会」では、組織は永続するものという無意識の楽観を前提としている。
年功序列賃金など、将来よいことがあるから今を我慢する。
今を我慢すれば、未来に良いことがあると考えているということは、未来においても組織は続いていくことを前提としている。
その前提のうえに起こるのは平和ぼけである。
平和ぼけに浸かると、日々の関心は社外に対してどのような製品やサービスを提供するかではなく、社内の人間関係に向いていく。
そして自分の立場を守るために、無意識に現状にとどまろうとし、変化を恐れるようになる。
「タテ社会」では、そのルールや人間関係を守っていれば、ムラの中での個人の立場は守られる。しかし、ムラを離れた社会で個人が独立することは難しい。
ムラに守られた個人では、会社の寿命が短くなった時代では厳しいし、独立できていない個人ばかりの集まりの会社もなおさら厳しいだろう。
福沢諭吉は「学問のススメ」で、開国したばかりの日本の独立、そしてその土台となる個人の独立の必要性を説いた。
自分の持論を「ヨコ社会」に対して伝え、「タテ社会」から意識的に独立する。
その輪が広がり、話に共感した誰かが行動を起こし、「タテ社会」に影響を与える。
会社が変われば、世の中も変わっていく。
そのような変化があってもよいのではないだろうか。
IT業界にはその土壌がある。他業界のさきがけになるかもしれない土壌である。
IT業界の人が、自分の思うことを語り、それを聞くために人があつまる。そして行動のきっかけになる。
BPStudyがそのような場のひとつになればよいとおもう。