「コードを憎んで人を憎まず」
コードレビュー時のレビュアー(レビューする側)の考え方(レビュー時に人格攻撃にならない、感じられないように気をつけるなど)として、良く使われる言葉です。
一方で、レビュイー(レビューを受ける側)はどのように考えればよいでしょうか。
マシンやプログラムからエラーメッセージが出ることを「怒られる」と言ったりします。
実際には、マシンやプログラムはエラーを伝えているだけで「怒っている」わけではありません。
しかし、マシンが出すエラーメッセージは無機質なので怒られているように感じることから「怒られた」と言うようになったのでしょう。
このように同じエラーメッセージでも、人の捉え方によって(エラーを)親切に伝えてくれているのか、怒っているのかが変わってきます。
怒られてる・責められてると感じた場合の人の反応
Slackやチケットなど文字のコミュニケーションも無機質になりがちなので、自分の仕事や成果物について指摘を受けると怒られている・責められていると感じてしまうことがあります。
周りの人はチームとしての仕事の質をより良くしようとして、誤りや改善点、より良いと思う案などを伝えます。
しかし、それを怒られている・責められてると感じてしまうと、人は以下のような反応をします。
- つらそうになる(表情に出る)
- へこむ(未熟な自分を責める)
- ムッとして反論する(防御反応として)
このような反応があると、周りの人たちは以下のように変わっていきます。
- 傷つけたり、へこませたくないから指摘しなくなる
- ムッとされるのを怖がって指摘しなくなる
周りから自分の仕事について何もいわれなくなると、人は成長をするチャンスを失います。
自分の仕事の誤りや改善すべき点は自分からは見えにくいので、自らを改善し成長へとつなげることが難しいからです。
指摘を遠慮するコミュニケーションが蔓延すると、仕事の質が上がらず成果が出ないチームが出来上がります。
責められている・怒られていると捉えないための対策
周りの人からの指摘を責められている・怒られていると捉えずに、素直に受け止め活用できるようになるにはどのように考えたらよいでしょうか。
仕事と自分を切り離す
仕事の目的は価値を創り出すことです。
そのために、仕事や成果物に対してお互いにコメントしたりして、協力して質を高めていきます。
しかし、周りの人からの指摘を責められている・怒られていると捉えてしまう人は下図の青い点線内のように仕事と自分を結びつけてしまいます。
このような人は自分の仕事について指摘をされると、自分の人格や人間性について指摘されているように感じてしまいます。
指摘は仕事に対してのもので、自分自身に対するものではないと切り離して考えると自分も周りも気持ちが楽になるでしょう。
冷静かつ客観的に指摘を取捨選択する
自分の仕事の改善点を複数人に指摘されると「フルボッコにあった」という人がいます。
責められている、怒られているを通り越して殴られていると感じています。
殴られたように感じた指摘を素直に受け取れる人はいないでしょう。
しかし本当に成長できる人は、周りの人から指摘された中で、適切なことは取り入れる、適切ではないものは捨てるということができる人です。
そのためにも、冷静に指摘の内容を把握し、客観的に取捨選択できる力が必要です。
※仕事を始めたばかりの人や経験の浅い人は何が適切か判断できないことが多いので、混乱しないためにも複数人でコメントや指摘をするのではなく一人のメンターをアサインするのが良いでしょう。
完璧な人はいないと割り切る
学生時代にテストで良い成績を取っていた人も、仕事では一人で完璧な成果を出し続けることは難しいです。
仕事では人ひとりではカバーしきれない幅広いジャンルの多種多様な知識、観点、スキル、経験が求められるからです。
一人では満点にならなくても、チームで満点に近づけていくのが仕事です。
チームで仕事の質を上げるからといって、自分の仕事の質をあげるための努力を惜しんでは本末転倒ですが、完璧な人はいないと自分に対して割り切ると気持ちが楽になるでしょう。
コメント・指摘する側の考え方
私は仕事において指摘する側にも、指摘される側にもなりますが、コメントや指摘をする側の考え方も簡単に書いてみます。
人と仕事を切り離す
冒頭のレビュアーの心得(コードを憎んで人を憎まず)のとおり、人と仕事の成果は切り離して考える必要があります。
人と仕事を一緒に考えると、仕事がうまくいかない時ほど「あの人はXXでだめだ」となりがちで、お互いに良い関係の構築が難しくなります。
「人は人」「仕事は仕事」と分けて考えることで、価値の実現に集中して協力する前向きなコミュニケーションができるようになります。
「人を見るな、仕事を見ろ(人の顔色ばかりみるな、仕事に意識を向けろ)」とどなたかが言っているのを聞いたこともあります*1。
自分と人、仕事と人を切り離すという考え方は、アドラー心理学の「課題の分離」に近い考え方かもしれません。
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人は変えられないと割り切る
人が思い通りに動かず、その人の行動を変えようとすると「なんでお前はXXなんだ。XXするべきだ」などといいたくなります。
これは人格を責めてしまっています。
しかし、人は人格や人間性を指摘されると頭に来て反撃します。
また自分を変えてこようとする人には本能的に守りに入るので、守りと攻撃という戦いが始まってしまいます。
このようなときは、イソップ寓話の北風と太陽の話を思い出すと良いでしょう。
人を変えようとするのは「北風」、価値の実現に向けて自分ができることに集中するのが「太陽」です。
人を変えようとして、変わらないとイライラしてしまいます。
根気はいりますが、人を「変える」のではなく「変わる」のを待つ*2と、気持ちも楽になるでしょう。
過去は変えられないと割り切る
チームの誰かが大きなミス(ひどい品質のプログラムなどをつくったなど)をしてしまったとします。
嘆いても責めても、過去は変わりません。
そのようなときは「(ミスをした)過去は変えられない」と考え、未来をより良くしていくことに集中します。
そうすれば、現在への嘆いている状況から、未来に目が向きます。
そして未来に結果が出れば、過去のミスもプラスに捉えられるようになるかもしれません。
まとめ:仕事と人を切り離すメリット
レビューなどの場面で仕事と人を切り離して、仕事の目的(=価値の実現)に集中することで、以下のようなメリットを得られます。
チームの仕事の質が高まり、価値の実現に近づく
率直に誤りや改善点を話し合うことで、仕事の質を高めることができる。結果、価値の実現に近づく
お互いに成長できる
周りの人からの誤りや改善点の指摘を受け入れて、自分を改善することで成長することができる。
メンタルが楽になる
自分が責められている、怒られているという思い込みから解放されることで、仕事でへこむことが少なくなる。
同じ言葉でも、人の捉え方によってプラスにもなるしマイナスになります。
人のことを悪く捉えたり、被害者意識をもつと、コミュニケーションに悪影響を与えます。
仕事の目的(=価値の実現)をおさえて、その実現に集中したほうがシンプルに仕事に取り組めて成果も出やすくなるでしょう。
*1:たしかDeNAの南場さんだったと思いますが、Google検索ではみつかりませんでした
*2:スクールウォーズの名言でも「相手を信じ、待ち、許してやること」という名言があります