昨年、ミスタードラゴンズと呼ばれていた中日ドラゴンズの立浪和義選手が現役を引退した。
立浪選手は、1988年の入団一年目に高卒ルーキーながら開幕からスタメン出場を果たし、新人王、ゴールデングラブ賞を獲得し、チームも日本一に輝き、その後も22年間もの長きにわたり、チームの中心選手として活躍し続けた選手である。
その立浪和義選手が執筆した書籍が2月に出版されていたので、読んでみた。
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立浪選手は既に述べたように、中日ドラゴンズのチームリーダ・中心選手として長年活躍してきた選手である。
そのような立浪選手に転機が訪れたのは2005年である。
急成長していた森野選手にポジションを奪われ、代打の役回りになったのである。
「なぜ俺が代打?」
「何回か打席に立てれば、打つ自信はある」
また、準備していても出番がないことや、1か月以上ヒットが出ない日々が続くときもあり、ストレスが溜まってくるのだそうだ。
このようなときにヤケを起こして「やってられるか!」と投げ出したら、そこで終わりだと立浪選手はいう。
長く活躍する選手はみなそれぞれ、そういう努力(自分自身を律する、ジッと我慢すること)をしていると思う。
どんな境遇に置かれても、自分の役割を受け止めて、がんばれるかどうか。
ビジネスの世界においても、これは同じではないだろうか。
特に実績のある人が「なぜ俺がこの仕事を?」などという仕事や役割をやらねばならないこともあるだろう。
そのときに「やってられるか」と反発するか、組織のため成果のためにとその役割を果たせるかどうか。
そこに、その人の存在価値は決まってくるだろう。
それでは現状を受け入れ、素直に従うだけで良いのだろうか。
おそらくそれだけでは、勝負の世界は生き残れないだろう。
立浪選手は、書籍のタイトルにもなっている「負けん気」が自分の原動力であったと述べている。
私は「負けん気では誰にも負けない」という強い気持ちでプロ野球界を生きてきた。
その負けん気は、反骨心ではあっても、反発とは違う。
人に逆らう事が負けん気ではない。協調する心、調和する心、素直に受け入れる姿勢があってこそ、負けん気は自分の運命を前向きに進めるエネルギーになる。
過去に実績がある人が、そのプライドを前面に出し仕事をし続けたとしたら、それは「老害」でしかない。
実績があろうがなかろうが、チームが出すべき成果に集中し、どのような役割でも嫌がらず果たすことができる。
そのような人が社会で長く活躍し続ける人なのではないだろうか。
立浪選手の書籍は、その謙虚さと芯の強さを感じさせる内容であった。
私も立浪選手の選手としての強さ、そして謙虚さを学び、社会で長く活躍し続けるような存在でいられればと思う。
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